おかもとのブログ

主に神経科学の論文、書籍のまとめや感想を投稿します。関心は意識と自己。

統合情報理論を何となくで良いから理解したい

初めまして、おかもと、と申します。神経科学を大学で勉強している者です。

今更ですが、意識に関心がある人なら誰でも知ってる本『意識はいつ生まれるのか--脳の謎に挑む統合情報理論』を読みました。

本を中心にこの記事では意識研究の変遷をめちゃくちゃざっくり解説したいと思います。ガチガチな文章が長く続くので統合情報理論だけ知りたい方は2章だけ読んでください。

1.意識とは何か

意識の定義

意識の定義は千差万別存在する。「道徳的自覚」を指して使われることもあったり、別の場面では「自意識」という意味で使われることもある。またある場面では、「外部からの刺激に反応できる状態」を指す。他にも大量の数の定義があり、きりがない。

神経科学で意識を扱う場合、2つの意味[1]で使われる。

1つ目の意味は、「意識レベル」「覚醒(arousal)」である。意識レベルは覚醒時に一番高くなり、睡眠時、麻酔時に低くなる。また脳の障害により、植物状態などに陥ったときにも意識レベルは低くなる。

2つ目の意味は、「クオリア」「意識内容」だ。クオリアは視覚・聴覚・触覚などの五感から生じる感覚である。例えば「夕焼けのギラギラした感じ」「King Gnuの心地よい歌声の感じ」(例としてあっているか分からない)「虫歯の痛みのズキズキした感じ」である。哲学の分野で使われることが多い。

この記事ではこの2つの意味の違いは区別しないようにする。

意識を説明することの難しさ

現在、心の哲学の分野では唯物論の立場から意識を説明するのは困難だと言われている。 オーストラリアの哲学者であるデイヴィッド・チャーマーズは1994年に意識のハードプロブレム(Hard problem of consciousness)[2]を提唱した。意識のハードプロブレムとは「物質および電気的・化学反応の集合体である脳から、どのようにして意識が生じるのか」という問題である。

ここで意識のハードプロブレムを解くことの難しさを大阪大学が開発した痛みを感知できるロボットを紹介したい。

https://vaience.com/wp-content/uploads/2020/02/060bb40fab4e9a3825fe9b477da6aae7.pngそっと触れているのか、あるいは、強烈なパンチなのか、という圧力の違いを繊細に感知するセンサーを内蔵する人工皮膚を大阪大学の科学者たちが開発しました。この人工の「痛覚神経系」は、まるで生きているように見える子ども型アンドロイド・ロボットにつながれました。このロボットは様々な顔の表情をつくることによって刺激への反応を示すことができます。痛みを感じられる『子供ロボット』を大阪大学が開発 | VAIENCEより

本当に痛みを感じているのだろうか?ただ圧力の違いを感知して、それに応じて顔の表情を変えるようにプログラムされてるだけでしかない。アムロが殴られたときのような人間が持つ特有の痛みを本当に感じているとは考えられない。

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殴ったね! 親父にもぶたれたことないのに!のシーン
仮に、このロボットが人間と全く神経回路で再現された完全なる人工人間だった場合でも、意識があるとは言えないだろう。なぜなら痛みのような主観的な意識体験は外部から観測不可能だからである。

「物質としての脳がどのように情報処理をしているのか」という意識のイージープロブレム(Easy problem of consciousness)は神経科学の進歩で説明できる可能性はあるだろう。しかしハードプロブレムという脳の情報処理と意識の因果関係を説明するのは極めて困難である。

このような「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識を全く持っていない主体」を哲学的ゾンビ という。ハードプロブレムによれば、ロボットだけではなく他者の意識の存在さえ解き明かせないことになる。だから、この記事を読んでいる人は友人や家族に「あなたは人間ですか?」と聞いてみて欲しい。

https://newphilosophy.net/philo/philozombies/0000.jpg 哲学的ゾンビについてより

ディヴィッド・チャーマーズ哲学的ゾンビが想像できること自体が、意識を現在の物理学で解き明かすことは論理的に不可能であることを意味していると主張し、唯物論を否定しているのだ。

2.NCC(意識に相関した脳活動)

脳のどこで意識が発生しているのか

哲学上の概念であるハードプロブレムは一旦置いといて、実証的な意識研究をこれから説明する。

特に神経科学者のクリストフ・コッホとフランシス・クリックが2003年に提唱した意識に相関した脳活動(Neural Correlates of Consciousness:NCC)は有名な概念である。

NCCは「ある特定の意識的知覚を共同して引き起こすのに十分な、最小の神経メカニズム」として定義される 。

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意識に相関した脳活動-wikipediaより

例えば視床-皮質系は意識に関係する。視床-皮質系とは視床という脳の構造のうち間脳の一部を占める部位と大脳皮質から構成される神経システムである。

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脳の解剖より

視床-皮質系が広範囲の損傷を受けたり摘出されたりすると、意識がなくなる。視床-皮質系が鍵を握っていることは、この部位が完全に破壊されると意識が永久に失われることから明らかだ。また、それだけではなく皮質のある特定の局所的領域が損傷を受けた際に見られる後遺症からも明らかである。 『意識はいつ生まれるのか』より

対して小脳は損傷が起きても運動に支障は起きるが、意識には影響が起きないためNCCではない。

事実、小脳に損傷を受けた患者の意識は、損傷前とたいして違いはない。考えはあいからずなめらかに浮かび、以前のように多様で、鮮明さも変わらない。形、色、音、匂い、味、感情、痛み、思考という目を見張るような意識の多様性が丸ごと保存されている。『意識はいつ生まれるのか』より

NCCの問題点

しかし、いくらNCCの研究が進展しても、意識の根本的な解明には繋がらない。脳のどこで意識が生じているのかが分かったとしても、何が意識を生じさせているのかは全く分からないままだからだ。相関が分かっても因果関係がわからないのと同じだ。

この問題のため「小脳が、ニューロンの数でいえば最も大きな、神経組織なのに、意識とはほとんど関係ない」というパラドックスを説明できない。

大脳のニューロンの数が約200億個に対して、小脳のニューロンの数は約800億個である。大脳に対して4倍も多い。 一般的に考えればニューロンの数が多いと意識は発生するはずだが、先程説明したように小脳と意識に全く関係がない。またシナプスの種類も小脳は大脳に引けを取らないためシナプスの問題でもない。

「なぜ複雑であるはずの小脳が意識を生み出さず、視床-皮質系が意識を生み出すのか」という謎をNCC以外の別の方法で説明する必要がある。

3.統合情報理論とは

統合情報理論 (Integreted Information Theory :IIT)とは神経科学者であり、この本の著者でもあるジュリオ・トノーニによって提唱された、意識の発生を物理的に説明する有力な理論である。

IITは2004年から提唱されてからIIT2.0、IIT3.0とどんどん進化していっているらしい。ここでは本に書かれていたIITの基本的な部分を解説する。

統合情報理論とハードプロブレムの違い

この本では明確に言及してないが IITはハードプロブレムを直接解き明かす理論ではない。IITとハードプロブレムではアプローチの仕方が全く違う。これを理解していない人が多いが、非常に重要な点である。

f:id:shunshun1207:20200225110451p:plain 意識のハードプロブレムとは,脳を出発点として脳を 理解することから,意識がなぜ生まれるかを解明すると いう論理の方向性である(図1(a)).IIT とはこの方向 性とは全く逆で,意識が存在するということを前提とし て認めることを出発点とし,自分自身の意識の観察(現 象論)から,意識の本質的な性質を同定する.そして, 意識の本質的な性質は数学で表現し,検証可能な予測を 行う. 『統合情報理論から考える人工知能の意識 大泉 匡史 著より』

一度意識が存在すると仮定をした上で論を進めていくのがIITである。

情報量とは何か

統合情報理論の基本的な命題は、ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識があるというものだ。『意識はいつ生まれるのか』より

この命題では意識が生じるのに必要な2つの基本的性質を示している。

1.情報量が含まれている

2.情報量が統合されている

そもそも情報量とは何だろうか?この本ではこのように書かれている。

情報理論の父と呼ばれるクロード・シャノンの時代から、「情報」の定義は「不確実性を減らすこと」と結び付けられ、「情報量」は、ある事象が起きたとき、その事象に代わって起こりえたのに起こらなかったことの数が大きければ大きいほど多い、とされてきた。『意識はいつ生まれるのか』より

少し分かりにくいのでフォトダイオードと人間の脳を比較した思考実験で考えてみよう。


明るくなったり、暗くなったりするのを繰り返す部屋がある。その部屋にはフォトダイオードが設置されている。フォトダイオードとは光を電気に変換する部品であり、一定以上の光に当たると「ON」と判断し、そうでなければ「OFF」と判断する

その部屋にあなたもいたとする。あなたはフォトダイオードと同様に部屋が明るくなったら「明るい」と答え、暗くなったら「暗い」と答えるように命令されたとする。この命令を答えるとき、あなたに明るいか暗いかという意識があったのと同様に、フォトダイオードにも意識があったと言えるだろうか?


おそらくないだろう。なぜならフォトダイオードが「明るい」と判断する時、起こり得なかった選択肢は「暗い」しかなく、発生する情報量がたったの1ビットだからだ。

その一方で人間の脳は真逆である。仮に青い光や赤い光が部屋に照らされたとしよう。あなたは戸惑うが、「明るい」と答えるはずである。つまり「青い」や「赤い」という情報を排除して脳は「明るい」と答える。このように脳はフォトダイオードとは違い「明るい」と判断するときに「暗い」以外に数え切れないほど膨大な選択肢を排除しているため情報量も膨大になるのだ。

したがって、第一のの公理があげられる。

意識の経験は、豊富な情報量に支えられている。つまり、ある意識の経験というのは、無数の他の可能性を、独特の方法で排除したうえで成り立っている。いいかえれば、意識は、無数の可能性のレパートリーに支えられている、ということだ。 『意識はいつ生まれるのか』より

統合とは何か

次にもう一つの基本的な性質「統合」とは何かを説明していく。

本ではこのように説明されている。

あるシステムが統合されたシステムであるためには、構成要素の片方に伝わった情報が、もう片方にも伝わる必要がある、ということになりそうだ。『意識はいつ生まれるのか』より

つまり、ある二つの要素が結びついていないといけない。

統合をより深く考えるために今度はフォトダイオードを百万個集めて構成された一つのデジタルカメラで考えてみる。前回と違い、膨大な量のフォトダイオードを使っているため情報量も圧倒的に多くなる。

しかし、いくら情報の量が多くても、人間の脳と同じような意識が生じているとは言えないだろう。内部から見れば互いに独立したフォトダイオードが百万個集まっているだけでしかないからだ。事実、いくらデジタルカメラ内のフォトダイオード同士を切り分けても、見える映像は変わらない。

それに対して人間の脳はニューロン同士が密接に結びついており、デジカメと違い"本当の意味"で単体であるため、一度に複数の意識が生じることはない。ルビンの壺が良い例だろう。健常者なら一度に二人の顔か、花瓶のどちらかしか意識に上ることはない。

ただし、分離脳患者のように大脳の二つの半球をつなぐ脳梁が取り除かれると状況は違ってくる。片方の半球に届いた情報がもう片方の半球に届かなくなるため、意識も二つに分かれてしまう。その場合、右半球は左の顔、左半球は右の顔しか意識に上らなくなる。

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要するに「情報量」がいくら多くてもそれが「統合」されていなければ意味がないということだ。

ここで第二の公理が得られる。

意識の経験は、統合されたものである。意識のどの状態も、単一のものとして感じられる、ということだ。 『意識はいつ生まれるのか』より

統合情報理論を擬似ニューロンで考える

IITでは先ほど述べた二つの公理を満たす「情報の統合度合い」の量をφという指標で表す。

最初に注意しておきたいのが、IITでは意識とは0と1ではなく、連続的であると考えられているということだ。だからフォトダイオードのような人工物も統合されたシステムであれば意識はある可能性はあるが、φの値が限りなく小さいと捉えられる。また、逆に人間よりもφの値が高い「人工意識」[3] を創ることが可能なのかもしれない。

ではφの値がどのように決まるのかを具体的に考えるため、今度は思考実験ではなく3種類の擬似ニューロンのシステムで考えてみよう。

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Revelations from the Unconsciousより

まず、一番下から見ていく。これは8個のニューロンで構成されているシステムである。ニューロン2つで1ペアになり相互作用(矢印を表す)しているため、合計4つのユニットができる。このユニット同士では相互作用はしていない。

この構造だと、どのニューロンも特定の結びつきを持つため、システム内の情報量はそこそこ大きい。しかし情報量が統合されているとは言えないだろう。なぜならユニットの間は分断されており、ユニット同士では相互作用が成り立ってないからだ。

したがって、一番下のシステムは「情報量」は多いが、「統合」されていないため、φの値が比較的小さくなる。

次に中央のシステムはどうだろうか?

このシステムは先程とは真逆の性質を持つ。どのニューロンも他のすべてのニューロンと相互作用していて、結びつきが弱いところがない。だからこのシステムは完全に一つに「統合」されていると言えるだろう。

しかし、情報量自体がかなり低い。ニューロン1に刺激を与えると、1以外の全てのニューロンが活動を始め、ニューロン2に刺激を与えると、2以外の全てのニューロンが活動を開始する、というようにニューロン3、4、5...に刺激を与えても全く同じようなことが起こるからだ。つまり全てのニューロンが「ON」か「OFF」のどちらかのパターンしかないことになる。

中央のシステムは情報量が統合されているが、情報量そのものが少ないためφの値が低くなる。

最後に一番上のシステムだ。これは人間の脳と似ている性質を持ったシステムである。ニューロン同士が、中央のタイプのシステムとは違い、特有のつながりを持つ。だからニューロン1を刺激した場合と、ニューロン2や3を刺激した場合とでは異なるパターンの反応が生まれる。

また、全てのニューロンの間で相互作用が起きるため、どのように分割をしようとしても、結びつきがない部分が見つからない。

だから、一番上のシステムは情報量が豊富であり、かつ、統合されているためφの値は高くなる。

3つのシステムを単純化した図で表すとこうなる。

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ここまでがIITの基本的な部分の説明である。次の章では、IITを用いて2章で触れた「複雑であるはずの小脳がなぜ意識とは関係しないのか」を説明する。

4.小脳が意識とは無関係である理由を統合情報理論で説明する

IITに基づくと、人間の意識経験はφの値が高い神経システム内で発生することになる。だから意識に関係する皮質-視床系はφの値が高い神経システムであり、無意識的な活動に関係する小脳はφの値が低い脳システムであるはずだ。

小脳の構造を観察すると小脳が意識に関係しない理由は2つあることが分かる。

1つ目は「 小脳の2つの半球を繋ぐ脳梁のような部位がないこと」だ。

小脳の右半球に含まれている400億個のニューロンは左半球に含まれている400億個のニューロンと結びついていない。

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大脳半球をつなぐ脳梁 脳梁-wikipediaより

だから、IITの公理である「統合」を満たせずφの値は低くなるのだ。

この事実を本ではこのように例えていて面白かった。

小脳にかんしていえば、われわれは皆、生まれながらにして分離脳患者のようなものである。この事実を前にしたとき、すぐに警備が聞こえてくる。「これは、統合にとってよくない状態だぞ!」と 『意識はいつ生まれるのか』より

小脳に対して皮質-視床系はそれぞれの半球を繋ぐ脳梁があるため、半球に届いた情報がもう片方の半球にも伝えることができる。だから、その分ニューロン同士が統合されていると言える。

しかし、いくら小脳に脳梁がなくても400億個もニューロンが半球内に詰まっているなら、2つの意識が存在してもおかしくないはずである。なぜなら意識が発生する大脳の半球でさえ約100億のニューロンが詰まっているからだ。

ここで2つ目の理由「小脳は統合されないニューロンのつながり方をしている」が出てくる。

小脳の半球内のニューロン同士どのように繋がっているのかを見ると、似たような要素が独立して集まって構成されていることに気づく。

小脳はフォトダイオードが百万個集まって出来たデジカメのようなものである。本当は単体ではなくばらばらの要素が無数に存在しているだけだ。

小脳内の連絡経路は、信号が目的地のモジュールに届いたら、そのモジュールから出ていかないように組織されているようだ。それで、近くでも遠くでも、とにかく他のモジュールに影響を与えないようになっている。『意識はいつ生まれるのか』より

このような構造のため、小脳はコンピュータのように高速で情報を処理できるらしい。確かに必要以上に気にしてしまうとと逆に失敗してしまうことが日常でもよくある。小脳が哲学的ゾンビみたいなものだから正確な活動ができるのかもしれない。

音楽の巨匠たちはこの現象のことをよく知っている。ある上達段階に達したら、巨匠たちから、「考えずに、手が動くがままにまかせなさい」というアドバイスを聞かれるだろう。そうすれば、頭蓋骨のなかの"忠臣"ゾンビのいずれかが、曲を演奏し、ミスしたりつまったりすることなく、ひとつひとつの音をなめらかにに奏でてくるはずだー私たちのかわりに。 『意識はいつ生まれるのか』より

それに対して、皮質-視床系は小脳とは真逆の二つの特徴を持つ構造をしている。

まず、本で"ニューロンのるつぼ"と表現されているように、違いのレベルが高い要素がたくさん集まっている。フォトダイオードのみが無数に集まっているわけではない。視覚系、聴覚系、味覚系など役割が分担されていて、さらにその中でも形を見分ける部分や色を見分ける部分があり細分化されている。つまり高度に専門化されているため「情報量」が多い。

また、高度に専門化した視床-皮質系の要素同士のつながりは、近距離のものも長距離のものもあり、各要素はそのネットワークに乗って、素早く効率よく相互反応できる。例えば前頭葉ニューロングループは後頭葉のグループと結びついている。だから床-皮質系は「情報量」が多いだけではなく「統合」されていると言える。

このような特徴を皮質-視床系は持つため、IITの命題である「ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識がある」を満たし、φが高くなるのだ。

5.補足と疑問

・意識の基本的な性質は「情報量」と「統合」以外に「排他」と「構造」もあるらしい。大泉匡史先生の資料に書いてあった。[4]

・この本と関連の資料を軽く読んだだけだからか、正直意識の基本的な性質がなぜ「統合」や「情報量」になるのかがあまり分からない。いきなり感がすごい気もする。数理的な部分を理解したら分かるかもしれないので勉強する。

・今回はあくまでIITの理論を説明しただけだから、脳波や電気刺激を使って理論の実証まで落とし込んだ内容を今度の記事で説明したい。

・「統合情報理論に基けばネットも意識はあるんじゃないの」と言っている方を見かけたけど、ネットは統合されすぎてんじゃないのかなと思った。コロナウィルスの件もそうだがみんなが同調しすぎてデマとか広がるから。天使だけじゃなくて悪魔が欲しい。(自分でも何言っているのか意味分からん)